「清水買い」と「受験」には共通点があると感じています。
皆さんはいかがですか?
当時は無理して購入したものでも、後々安い買い物だったと感じることもあるかもしれません。
どうしても手に入れたい・欲
私は時折、分不相応の品物が欲しくなります。
『今の自分にはちょっと高すぎるな』とか、『ゾウさんに相談しないとまずいな』だけど、どうしても欲しいな。
それくらいの大物です。
こういう時は数ヶ月〜数年待機しますが、どうしても欲しいものは思い切って購入することがあります。
バッグ、時計、アクセサリー類です。
いわゆる「清水買い」です。
一方、受験生は志望校を考える時
- 今の自分の学力に相当するな
- 今の自分から努力すれば合格する可能性がありそうだな
- 今の自分からはほど遠く、合格する可能性はかなり低いな
学校の偏差値とにらめっこしてあれこれ悩みますよね。
清水買いと③番の志望校は同類と感じます。
その志望校が本当はとても憧れている場合です。
思い切って飛び込むか否か。
自分の欲より周りからの視線や評価を気にしたり、
結果どうなるか未知ですので、当然不安に感じます。
しかし、私の経験上
分不相応の目標でも、設定したら(購入したら)それに相応しい自分になっていきます。
努力する
低い山を登るか、高い山を登るか。
一旦志望校を設定したらその瞬間、山の高さが決まるだけで登る行為に変わりはありません。
また、購入してしまったらその穴埋めは自分で稼ぐか節約するしかありません。
要は自分の努力次第でなんとでもなるのです。
私の場合は、清水買いしたものはしばらく寝かせます。
まだまだ堂々と身につけられないので、ひたすら仕事を頑張ったり、努力し続けます。
しかし、時々引っ張り出してきては眺めており、するとむくむくとやる気が湧いてきます。
まだまだ頑張らなきゃしっくりと来ないなあと。
しばらく寝かせた後はとても大切な場面で初おろしします。
お、少し違和感なくなってきた!と感じたり。
稼ぎだけではなく、人柄、行動、目の輝き、考え方など、全てにおいて磨かれていかないと相応しくなっていかないと感じます。
そうやって、数年にわたり長く寝かせていくものもあります。
その間は他の大物は欲しくならないですね。笑。
一方、子供達の志望校は、私の場合は本当の憧れを重要視します。
いわゆる今の自分からはほど遠く、合格する可能性はかなり低い学校だけど、憧れて行ってみたいと感じる学校
です。
よく会話をし、子どもたちの本心を探ります。
子供は経験が少ないですから、今の自分とかけ離れている志望校を口に出すことに臆病です。
しかし、子供の発してくれた本心を見逃さず、必ず後押しします。
子供の可能性を信じ、ひたすら応援し続けるのは親の役目だと思っています。
親から信じてもらえると、努力する勇気が湧いてくると思います。
親が信じてくれて、自分で自分を信じる。するととてつもない力を発揮します。
いつの間にか目標に到達している
清水買いしたものも、いつの間にかしっくり馴染みます。
臆することなく使えるようになります。
それは自分が成長したからです。
志望校に向けても、自ずとそれ相応の力が身に付いてきます。
限界なんて始める前から分かりません。
でしたら手に入れたいものを設定した方が良くないですか?
たとえ、結果が不合格に終わっても、富士山を頂上まで登った時より、エベレストの八分目まで登った場合の方が、高いところに辿り着いています。
常々そう思っています。
今日は少し長くなりました。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
なないろ
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